幸せ、あるいは、不幸せ


あれもこれも、と、欲張っていたらいつの間にか1月も終わり、
2月も中旬になろうとしている。

1日1日が過ぎるのが早くて、時間がない、と嘆いてみたり焦ってみたり
するのだけど、

だからって、食事の後のだらだらや、寝るための時間を削ることは
やっぱり出来ない。

どうも、時間の使い方が下手なようだ。

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最近は欲しい洋服がないということもあり、
バーゲンに行っても洋服代にお金をかけなくなった。
自分の欲しいもの、着たいもの、の方向性が決まりつつあるのと、
無駄を省けるようになった、と喜んだりしたりもしていて、
例年のように、散財することもあんまりないままだった。


それでも、食器収集はどうしてもやめられない。
食器にはお金をほいほいと使ってしまう。

こういうとこ、母譲り。
または、魯山人の「食器は料理の着物」と表現することに深く納得した故かも
しれない。

引越しも控えているし、とりあえずここ数ヶ月は我慢するつもりだったけど、
ご褒美も兼ねて、ビンテージのお皿を手に入れた。

彼も食器やカトラリーに興味を示すので、喜びを共感したり、使い勝手を評価したり
出来るのだけど、金額が金額なだけにおそるおそる彼に見せた。

気に入ってくれた。ほっ。

今は、ぽってりしたマグカップが欲しいのだけど、なかなか見つけられない。

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今年に入って、分厚い日記帳に日々の記憶を残している。

学生時代は欠かさず日記を書いていたので、ほお杖をついてボールペンを
くるくる回しながら回想したりなんかして、久々のこの感覚になんとなく
女の子らしさを感じている。

といっても、これらは散らかった部屋での出来事で、
カフェで日記を書いたり、読書したりと、理想の空間で過ごす時間が大幅に減って、
自分の理想のライフスタイルからは遠のいているのは確かである。


「考えることも大切だ、聞くことも大切だ、
それと同じように実行することはもっと大切なことだと私は思う。
いい仕事をしたいと思う心と、いい仕事をすることの違い、
いい暮らしをしたいと思う心と、いい暮らしをすることの違い」


先ほどの魯山人に続いて、魯山人の言葉。

理想や希望を手一杯に持ってはいるけど、蓋をあけると実現していない、

いつだって、私は宙に浮いている。

新たに綴った日記が、功を奏してほしい。

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彼と今後についてゆっくり話をした。
転勤が思っていたより早い時期になりそう、なのと桜が散って深緑の季節
を迎える頃にはゆっくり時間がとれそう、と、実に嬉しい報告。

1月は我が町に沢山足を運んでくれて、ふたりで色々なことをした。


ちょっと、先が見えてきたように思う。

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明日は大好きなおふたりの結婚記念日。
ふたりを見ていると、彼女とお話をしていると、
心の底からほんわか癒される。
誰もが嫉妬しちゃうほどの素敵な女性。
あんな風に年を重ねていきたい。